日本人が愛でる花「桜」越前・三国の旅

日本人が愛でる花「桜」(83)

福井県の越前・三国エリアの魅力を発信しています
三国温泉 お宿あらやは福井県よりふくいブランド大使に認定されており、福井県の越前・三国エリアの情報や、越前蟹(えちぜんがに)の魅力をネットを通して全国に発信しています。この記事は福井県坂井市「広報さかい平成30年3月号」より掲載しました。福井県の歴史文化に興味を持ち、越前・三国を旅する方が増えることを願います。 ●広報さかい

丸岡町女形谷(おながたに)のサクラ
春になると、日本各地で人々が花見をする桜。日本での桜の初見は、日本最古の勅撰(ちょくせん)歴史書「日本書紀」と言われています。桜は題材として、民俗学での研究や文学作品にも取り上げられ、三国を訪れた詩人・三好達治(みよしたつじ)も「いしのうへ」で桜が散る様子を詠んでいます。日本の桜は、多くの種類があります。中でも、古くから日本に自生していたとされる種類に「エドヒガン」があり、別名では「アズマヒガン」「タチヒガン」などとも呼ばれていますが、江戸で多く栽培されていたこと、そして、春の彼岸の頃に咲くことからその名が付いたと言われています。また、エドヒガンの同種で、しだれ型のものはイトザクラ(シダレザクラ)と言われ、瀧谷寺(たきだんじ)境内(三国町滝谷)にあるイトザクラは「シダレ桜大木有り。絶景也(なり)。」とも「越藩拾遺録(えっぱんしゅういろく)」(江戸時代)に記されるほど古くから有名で、江戸時代、三国湊の遊女で、俳人でもあった哥川(かせん)も句に詠んでいます。坂井市内には、竹田のしだれ桜、霞ヶ城公園の桜などの桜の名所があります。丸岡町女形谷には、福井県内でも老樹のエドヒガン「女形谷のサクラ」(県指定文化財)があり、毎年4月には多くの人が花見に訪れています。この桜は、傍らに建つ御堂様(おんどさま)とともに、現在まで区民が大切に維持してきました。過去、桜の枝の根元に大きな亀裂ができた時には、ワイヤー止めや支柱の設置などの対策を実施してきました。また、生育に影響が出てきたため、桜の木の周りを柵で囲い、土壌の安定化を図りました。その甲斐もあり、現在は生育状況も良くなってきています。
区内には「てんのう堂」(市登録文化財)と呼ばれ、後の継体天皇と古代豪族の大伴金村(おおともかなむら)が会見したと伝わる場所にも桜があり、両木とも区民の努力によって、4月にはきれいな桜の花が咲き、訪れた人の心を和やか(なごやか)にすることでしょう。


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