坂井市内の文学者関連地越前・三国の旅

坂井市内の文学者関連地(87)

福井県の越前・三国エリアの魅力を発信しています
三国温泉 お宿あらやは福井県よりふくいブランド大使に認定されており、福井県の越前・三国エリアの情報や、越前蟹(えちぜんがに)の魅力をネットを通して全国に発信しています。この記事は福井県坂井市「広報さかい平成30年7月号」より掲載しました。福井県の歴史文化に興味を持ち、越前・三国を旅する方が増えることを願います。 ●広報さかい

歴史を歩む大木 春江町針原にある桃田家のシイ
坂井市内には、名だたる文学者らの滞在地やゆかりの資料が遺(のこ)る関連地が多く存在します。北荘(ほくそう)文庫の創設者である則武三雄(のりたけかずお)は、「越前若狭文学選」で、福井県内の文学者や文学作品に登場する県内の地名・関連地を紹介しています。その中には、「中江寿々子(なかえすずこ・志賀氏息女)が昭和二十年四月、針原桃田七郎右ヱ門(ももたしちろううえもん)方へきた。」と記されており、春江町と小説家の志賀直哉(しがなおや)とのゆかりについても紹介しています。
ここにある「針原桃田七郎右ヱ門」とは、坂井市指定の天然記念物「桃田家のシイ」がある桃田家のことで、代々庄屋(しょうや)を務めた家柄でした。当時を知る資料である古文書類は、昭和23年の福井地震により消失し、残念ながら詳細はわからない状況ですが、シイの木の樹齢は300年ほどと推定されています。このシイの木に関して、明治6年3月の越前護法大一揆(えちぜんごほうだいいっき)の際に付けられたという槍の痕があることや、昭和16年~20年の太平洋戦争中の食糧難の際には、一時的に食用とした植物(救荒食きゅうこうしょく)として役立てられていたことが伝えられています。市内の個人宅にある樹木としては、樹勢や樹形がともに良く、稀にみる大木であるとともに、当地域の歴史に深く関わってきた老木とも言えます。
桃田家のご当主によると、丸岡町一本田の中野家(中野重治の生家)隣の山田家と桃田家隣の八杉(やすぎ)家が親戚関係にあったこと、また志賀直哉と中野重治が文学者同士という縁もあって、太平洋戦争時に志賀直哉の三女である寿々子が、疎開のために桃田家に一時滞在されたそうです。料理研究家であった寿々子は、滞在していた際、桃田家にレシピ本を手渡したそうですが、今は行方がわかりません。もしかしたら、寿々子のレシピ本には救荒食にもなった桃田家のシイのことが載っていたかもしれません。


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