南北朝の動乱と三国湊越前・三国の旅

南北朝の動乱と三国湊(88)

福井県の越前・三国エリアの魅力を発信しています
三国温泉 お宿あらやは福井県よりふくいブランド大使に認定されており、福井県の越前・三国エリアの情報や、越前蟹(えちぜんがに)の魅力をネットを通して全国に発信しています。この記事は福井県坂井市「広報さかい平成30年8月号」より掲載しました。福井県の歴史文化に興味を持ち、越前・三国を旅する方が増えることを願います。 ●広報さかい

軍事拠点としての三国湊
三国湊は中世において、地理的重要性から戦略上の拠点として、古記録にその名が見えます。
今から約680年前、後醍醐(ごだいご)天皇側の南朝と、足利氏を中心とする北朝との争いが60年余りという長きにわたって繰り広げられます(南北朝時代)。この日本史上特異な動乱の時代を描いた軍記物語である「太平記」に、南朝方の拠点として登場するのが三国湊城(千手寺城せんじゅじじょう)です。建武3年(1336年)10月、劣勢であった南朝方は勢力挽回を図り、皇太子恒良(つねよし)親王や新田義貞らが越前に派遣されます。この動きは、新田氏の一族が越後国(現新潟県)に勢力を有していたことから、南朝方は越前から北陸道一帯にかけて一大軍事拠点を築き、北朝方に対抗しようとしたとみられています。しかし、この計画は失敗に終わり、義貞も灯明寺畷(とうみょうじなわて・現福井市)で戦死してしまいます。そうした中で、新田四天王の一人として「太平記」にその名が見えるのが、畑六郎左衛門時能(はたろくろうざえもんときよし)です。武勇に優れた時能はわずかな手勢で三国湊城に籠城して北朝方と対峙したそうで、その活躍は「太平記」の中でも輝きを放っています。
中世の三国湊は、奈良興福寺(こうふくじ)領の荘園である坪江荘(つぼえのしょう)に含まれており、九頭竜川をはじめとする坂井平野を流れる諸河川が流れ着く場所であったことから、荘園物資の積出港(つみだしこう)としての役割を担う要衝でした。その三国湊を見下ろす高台にあったのが三国湊城です。残念ながら、現在は妙海寺(みょうかいじ)墓地付近に石碑が残っているだけで、城の規模など詳しいことはわかっていませんが、後に戦国大名朝倉氏の出城が三国湊に築かれるなど、南北朝期以後も三国湊は重要拠点であり続けたのです。
三国に訪れた際は、当時に思いを馳せながら町を散策してみるのも良いかもしれません。


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