越前蟹の民宿 福井の歴史年表

越前蟹の民宿あらやは「ふくいブランド大使」

◎越前蟹の民宿が福井県の歴史年表を紹介
福井県では全国トップクラスを誇る「健康・長寿」をブランドコンセプトの中心に据え、個々の地域ブランド「ふくいブランド」の魅力を発信しています。越前蟹の民宿あらやふくいブランド大使(法人)に認定されており、ふくいブランドのひとつである越前蟹(えちぜんがに)の魅力を全国に発信しています。ふくいブランドを知り、東尋坊や永平寺や福井県立恐竜博物館に訪れ、三国の越前蟹の民宿あらやに宿泊して越前蟹を味わう、といった福井県の観光地とふくいブランド、それに越前蟹の民宿を組み合わせた旅行はいかがでしょうか。ここでは、福井県の歴史年表をご紹介します。(※)参考文献『ふくいブランドハンドブック』

越前蟹の民宿 福井の歴史年表『500年~999年』

◆ 越前の歴史年表『500年~999年』
507年:越前坂井に育ったおおと王が天皇(継体天皇)に即位する。(『日本書紀』より)
717年:泰澄大師、白山開山
749年:越前国各地で東大寺荘園の占定が行われる。
758年:入京前の渤海使節団を越前に留める。後に、敦賀に松原客館を設ける。
806年:坂上田村磨呂、明通寺創建(伝)
996年:紫式部、藤原為時とともに武生に来る。

越前蟹の民宿 福井の歴史年表『1000年~1499年』

◆ 越前の歴史年表『1000年~1499年』
1172年:平清盛の寵愛を受けた白拍子、祇王、没
1243年:道元、越前志比庄に来る。
1244年:道元、大仏寺(永平寺の前身)建立
1338年:南朝の将、新田義貞、越前で戦死する。
1408年:南蛮船が小浜に来着、象が小浜に来航。
1471年:朝倉孝景、越前守護となる。
1471年:蓮如、吉崎に坊舎を建立
1477年:朝倉家を三代にわたり支えた名将 朝倉宗滴(教景)、生まれる

越前蟹の民宿 福井の歴史年表『1500年~1599年』

◆ 越前の歴史年表『1500年~1599年』
1536年:朝倉家の猛将、真柄十郎左衛門直隆、生まれる
1563年:明智光秀の娘、珠(細川ガラシャ)、生まれる
1567年:足利義昭、明智光秀とともに一乗谷に移住
1573年:織田信長、朝倉孝景を破り越前を領国とする。
1574年:越前一向一揆が蜂起する。
1575年:柴田勝家、越前に入る
1575年:前田利家、府中(越前市)に入る
1576年:柴田勝家、民政の基本となる掟書を越前国中に発する。
1576年:丸岡城、築城(現存する日本最古の天守閣)
1582年:お市の方と三姉妹、越前北庄城入り
1583年:柴田勝家、お市の方とともに自害
1589年:大谷吉継、敦賀城主となる

越前蟹の民宿 福井の歴史年表『1600年~1799年』

◆ 越前の歴史年表『1600年~1799年』
1600年:京極高次(正室は初(常高院))、若狭小浜に入る
1600年:結城秀康、68万石余で越前北庄に封じられる。
1601年:結城秀康、越前に入る
1606年:福井城、築城
1606年:江の娘 初姫、二代小浜藩主京極忠高と結婚
1607年:越前福井藩祖 結城秀康、没
1611年:江の娘 勝姫、二代福井藩主松平忠直と結婚
1612年:巌流 佐々木小次郎、没
1634年:酒井忠勝、11万石余で若狭小浜に封じられる。
1652年:義民 松木庄左衛門、没
1653年:日本のシェークスピア 近松門左衛門、生まれる
1664年:治水の先駆者 行方久兵衛、浦見川を切り開く
1686年:福井藩、25万石に減封される。
1689年:松尾芭蕉、おくのほそ道で福井に訪れる
1697年:松平頼方(のちの徳川吉宗)、越前国葛野藩主となる
1733年:杉田玄白、生まれる
1774年:小浜藩医、杉田玄白ら『解体新書』を出版する。

越前蟹の民宿 福井の歴史年表『1800年~1899年』

◆ 越前の歴史年表『1800年~1899年』
1812年:幕末の歌人 橘曙覧、生まれる
1829年:由利公正(三岡八郎)、生まれる
1845年:幕末の海外留学生 日下部太郎、生まれる
1848年:初代帝国大学総長、渡邊洪基、生まれる
1851年:食育の祖 石塚左玄、生まれる
1851年:自由民権運動で活躍 杉田定一、生まれる
1851年:笠原白翁、公立種痘所「除痘館」開設
1855年:福井藩校 明道館(のちの明新館)、開校
1858年:鯖江藩主 間部詮勝、老中就任
1858年:幕末の福井藩士 橋本左内、福井藩主松平慶永の命を受け上京し活躍する。
1859年:幕末の福井藩士 橋本左内、安政の大獄にて没
1862年:松平春嶽、政治総裁職就任
1863年:坂本龍馬、松平春嶽に資金援助願いに福井へ来訪
1863年:明治の美術界の指導者 岡倉天心、生まれる
1865年:水戸天狗党(武田耕雲斎ら)敦賀で処刑
1868年:由利公正、五箇条の御誓文起草
1868年:福井県出身の総理 岡田啓介、生まれる
1868年:地震学の草分け 大森房吉、生まれる
1871年:廃藩置県により、福井・小浜・丸岡・大野・鯖江・勝山などの諸県が置かれる。
1871年:由利公正、東京府知事就任
1874年:魯迅が敬慕した藤野厳九郎、生まれる
1879年:明治の歌人、山川登美子、生まれる
1881年:石川・滋賀県に分属していた越前・若狭の11郡をもって福井県が誕生する。
1882年:日本海側初となる敦賀までの鉄道開設
1883年:芦原温泉が発見される。
1884年:あわら温泉 開湯
1896年:北陸線の敦賀-福井間が開通する。
1898年:石塚左玄、「通俗食物養生法」著述
1899年:敦賀港が外国貿易港に指定される。

越前蟹の民宿 福井の歴史年表『1900年~1999年』

◆ 越前の歴史年表『1900年~1999年』
1900年:三国を愛した詩人 三好達治、生まれる
1902年:批判精神信念の文学 中野重治、生まれる
1905年:福井県での眼鏡製造開始
1906年:岡倉天心、「茶の本」ニューヨークで出版
1907年:昭和文壇を代表する作家 高見順、生まれる
1908年:作曲家 今川節、生まれる
1909年:越前蟹(えちぜんがに)の皇室献上、はじまる
1910年:白川文字学の祖 白川静、生まれる
1910年:佐久間勉艇長、殉死
1912年:日本マジックの基礎を築いた 松旭斎天一、没
1913年:秋山徳蔵が天皇の料理番となる
1918年:児童画家 いわさきちひろ、生まれる
1919年:福井県の輸出向け羽二重生産額ピークを迎える。
1920年:ポーランド孤児の「人道の港」敦賀への上陸が始まる
1922年:小浜線全線が開通する。(敦賀-舞鶴間)
1932年:福井市に世界初の人絹取引所が開設される。
1945年:福井・敦賀に空襲。
1948年:福井地震起こる。全壊家屋33000余戸。死者3800余人。
1956年:コシヒカリ、誕生(品種登録)
1962年:北陸トンネル開通する。(全長13.87㎞)
1968年:福井国体開催される。
1969年:日本原電敦賀発電所で臨界式。我が国二番目の「原子の火」灯る。
1970年:福井臨海工業地帯の造成が開始される。
1980年:北陸自動車道の県内全線が開通する。
1982年:勝山市北谷でワニの化石発見(恐竜発掘のきっかけとなる)
1992年:福井県立大学が開学する。
1995年:世界体操選手権鯖江大会が開催される。
1999年:ねんりんピック’99福井が開催される。つるが・きらめきみなと博21が開催される。

越前蟹の民宿 福井の歴史年表『2000年~』

◆ 越前の歴史年表『2000年~』
2000年:恐竜エキスポふくい2000が開催される。
2003年:若狭路博2003が開催される。
2004年:福井豪雨災害起こる。死者4人、約14000世帯に被害。スポレク福井2004が開催される。
2005年:第20回国民文化祭ふくい2005が開催される。
2009年:第60回全国植樹祭2009ふくいが開催される。

蟹の民宿・旅館なら越前蟹の民宿あらや

越前蟹のセリ

福井県坂井市三国町越前蟹の民宿旅館を探すなら、東尋坊から車で5分の「越前蟹の民宿あらや」はいかがでしょうか。

店先の越前蟹

越前蟹の民宿あらやではお客様にメインの蟹をお見せしてから調理します。1.本物を確認できる 2.写真が撮れる 3.ゆで置きや冷凍は使わない 4.調理したての蟹を味わえる 5.蟹だけで満足できる、ことで皆様から安心してご予約いただいております。蟹以外のメニューで量を増やすことはいたしません。

越前蟹の水槽

越前蟹の民宿あらやは私と妻の小さな宿ですが、新鮮な蟹を調理することにこだわっています。調理前の蟹をお見せするのも、お客様に鮮度をご確認いただきたいからです。蟹の仕入れから調理まで夫婦で行い、人任せにしません。良い蟹を仕入れようと努力しております。

調理前の越前蟹をお見せします

越前蟹の民宿あらやでは調理前の越前蟹をお客様にお見せします。お見せしてから調理しますので、お待たせしますが、調理したての越前蟹を味わえます。蟹を手に持って、記念写真を撮ることもできます。



越前蟹の民宿あらやは全館リニューアルしました

越前蟹の民宿あらや改装後の写真

◎福井県坂井市三国町越前蟹の民宿あらやは念願の全館リニューアルを終えて「三国温泉お宿あらや」として生まれ変わりました。食事スペースは「越前蟹の食事処 越前がに楽膳」に変わりました。妻と二人で民宿を継いでから、長いあいだ構想を練っていたのですが、終わってみれば柱と床と外壁以外のほとんどを改装した全館リニューアルとなりました。上の写真は、改装後の「三国温泉お宿あらや」の玄関先です。改装することができたのは、越前蟹民宿あらやのときの常連のお客様のおかげです。「三国温泉お宿あらや」に変わっても、これまで通り良い越前蟹をお出しできるよう努力します。【三国温泉 お宿あらや】に進む 【越前蟹の宿泊予約・プラン一覧】に進む

越前蟹の民宿あらやの和室の写真

越前蟹の民宿あらやの和室の写真

越前蟹の民宿あらやの客室はすべて畳敷きの和室でした。改装後は、客室の数は四つのまま変わらずに、二つを畳敷きの和室にして、残り二つをベッドの客室にしました。全室、トイレ・洗面つきです。上の写真は改装後の和室の客室です。越前蟹民宿あらやは東尋坊から続く越前加賀海岸国定公園のひとつ越前松島という海岸線にある自然公園内に立地しており、客室から海がきれいに見えました。この頃の客室の景観の良さを保ちつつ、さらに窓を一枚ガラスに変えることによって水平線がきれいに見えるよう改装時に工夫しました。これによって、夏から秋に水平線に沈む夕陽がとてもきれいに見える客室となりました。写真の客室「越前」はとてもお客様に好評で、ご宿泊の要望の高い人気のある客室になっています。【三国温泉お宿あらやの客室】に進む

越前蟹の民宿あらやのベッド室の写真

越前蟹の民宿あらやのベッド室の写真

◎上の写真は現在のベッドの客室の写真です。ご覧の通り、畳敷きの和室にベッドを備えた和風のベッド室となっております。越前蟹民宿あらやの頃は、畳の上に敷くお布団の数を調整することですべての客室でお子さんにご宿泊いただけたのですが、改装後のベッドの客室は大人お二人様専用の客室とすることになりました。お子様のご宿泊が制限されるのは残念ですが、越前蟹民宿あらやの頃に、越前蟹のご宿泊のお客様からベッドの客室の要望がとても多く、改装時にフローリングの洋間にベッドを置く客室にすべきか、かなり迷ったのですが、畳敷きの和ベッド室の方が体への当たりが柔らかく、越前蟹シーズンのお客様に向いていると判断しました。写真の客室「海幸」はとても好評で、特に越前蟹シーズンのご夫婦が多くご宿泊されています。【三国温泉お宿あらやの客室】に進む

越前蟹の民宿あらやの温泉の写真

◎以前、越前蟹民宿あらやの頃は通常の一般的な浴室しかありませんでしたが、改装後は予備の客室だった場所を三国温泉を引いた浴室にしました。予備の客室二つをそのまま浴室に改装しましたので、改装前と比べて内部の空間を大きくすることができました。この浴室は時間制の貸切風呂として使用することで、他のお客様と一緒のお風呂にならないようにしています。ご夫婦で入られるには充分な大きさの浴室になっていると思います。【三国温泉】に進む

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