三国の旅行・観光「ナホトカ号重油流出事故記念碑」

ナホトカ号重油流出事故記念碑

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆福井県坂井市三国町安島地区入口の海に面した広場 *ナホトカ号重油流出事故記念碑への旅行・観光情報:1997年1月2日、日本海の隠岐島沖で船体が破断、沈没したロシア船籍タンカー「ナホトカ号」の船首部分は1月7日午後、三国町安島の沖合200メートルに漂着。越前加賀海岸国定公園に面した美しい海岸は瞬く間に真っ黒い重油に覆われました。地元住民はバケツを手に重油回収をはじめると、延べ四万人を超えるボランティアや、自衛隊員が重油回収に加わり、4月20日には船首部分も撤去され、ようやく美しい自然を取り戻すことができました。この記念碑は漂着の一年後(1998年)に建てられました。地元の観光に携わる者として、真冬の厳しい波風のなか、重油回収にご協力いただいた方々に深く感謝いたします。この記念碑は漂着の一年後(1998年)に建てられました。写真は2010年5月に撮影したものです。あれから年月が経ち重油流出事故は私たちの記憶から遠くなりました。

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆あらやから東尋坊方面に向かって車で3分くらい走ると、左手には「三国海浜自然公園」が見えてきます。右手には雄島に通じる道があります。雄島の方へ曲がると、海をバックに石碑が建っているのが見えます。

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆ナホトカ号重油流出記念碑です。ナホトカ号の船首部分が漂着した場所が、ここのすぐ近くだったそうです。

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆石碑の文章部分のアップ。ナホトカ号が座礁して海がどのようになったか、海の重油回収のために自衛隊の方やボランティアさんが沢山駆けつけてくださった事、結果約3カ月で回収を終えられた事などが書かれています。

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆文章の下の部分のアップ。漂着時のナホトカ号の船首の様子が描かれています。

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆記念碑横の案内板(?)です。当時の重油で真っ黒に汚れた海の様子や、皆が活動している様子、どうやってこの綺麗な海に戻す事が出来たか等が書かれています。

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆実は私もこのボランティアに何日か参加した事があります。ボランティア用に重油回収場所へ連れて行ってくれるバスが出ていたので、それに乗って行きました。結婚する前だったので三国町には詳しくなく、どこに連れて行かれたのか良く分かりませんが、ちょうど写真の浜辺の様な場所で、浜辺の石を掘り返して重油をかき集めたり、重油の入ったバケツでバケツリレーをしていた様な覚えがあります。

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆記念碑の近くから撮った写真です。奥に見えるのは雄島。雄島の手前の岩付近にナホトカ号の船首が漂着したんだそうです。

ナホトカ号重油流出事故記念碑

◆当時は重油で真っ黒だった海岸が、10年以上たった今ではこんなに綺麗になりました。回収作業を支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

「釣りバカ日誌7」西田敏行さんの応援サイン

「釣りバカ日誌7」西田敏行さんの応援サイン

◆リニューアル前にお宿あらやにお越しいただいた方はご覧になった事があると思います。お食事処のふすまにある浜ちゃん(西田敏行さん)のサインです。「釣りバカ日誌7」でお宿あらやのある越前松島がロケ地となり、その映画の撮影でお宿あらやが釣り宿として使用されました。

「釣りバカ日誌7」西田敏行さんの応援サイン

◆その後、ナホトカ号の重油流出事故が起こり、「あの時ロケをした場所がこんなことになってしまった、すこしでも力になれたら」と西田さんがボランティアの方の応援に来てくださいました。当時、あらやにもボランティアの方が宿泊されていました。ふすまのサインはその時に書いて下さったものです。

「釣りバカ日誌7」西田敏行さんの応援サイン

◆釣りバカ日誌7のお宿あらやでのロケ風景。写真をスキャンして保存してある物です。長年、日に当たって色が抜けてしまいました。

「釣りバカ日誌7」西田敏行さんの応援サイン

◆スーさんも登場。お宿あらやは釣り宿の設定で、浜ちゃんがスーさんを待っている所に電話がかかってくるという設定でした。この時にその当時のお宿あらやの女将さんが「浜ちゃん、電話やざ~(福井弁)」ってちょっとだけ登場します。興味のある方、見てくださいね。

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